2012年05月13日

亡くなった父が私の身体に入った!


今日は死について書いてみたいと思います。
人間の生死は一瞬にして決まります。
私も奇跡的に生きていますが、
脳の血管が切れた場所がほんの少しずれていたら、
この世には、いなかったのです。
本当に死んでいたかも知れませんでした。

血管が切れたとき、
「頭が痛い」ということはありませんでした。
その後も、体調が悪くはなることはありますが、
頭の中が痛くなることはありません。
ですから、真ん中の血管が切れて、死んだとしても、
その瞬間、「痛い」ということもなかったと思います。
死は突然にやってくる、と思いました。

死のことを書こうとしましたら、
父のことが頭をよぎりました。
私は霊的に鈍い方なのですが、
それでも思い出されるので、
以前にも少し書いたことがありますが、
もう一度、振り返ってみたいと思います。

父は交通事故で亡くなりました。
おそらく即死だったと思います。
「だったと思う」と書いたのは、
父の死を後から知ったからです。

2度目の拉致監禁の時、
私が教会を辞めると宣言して、
両親も家族もともに喜びました。
そして、生活をともにした弟が、
思ってもみないことを言いました。
「兄貴、本当に統一教会を辞めるんだな。
うそをついて、また教会に戻るんなら、
何かあっても呼ばないからな」
私は「大丈夫だよ」
というしかありませんでした。

その時の止むを得ず弟と交わした約束を
私は守ることはなく、教会に再び戻りました。
しかし、「何かあっても」が
現実に起こってしまいました。
私が拉致を受けて偽装脱会してから、
約2ヵ月後のことでした。
弟は公約通り、父の死を連絡しませんでした。
母は私に連絡したかったのだと思いますが、
弟が強く制したのか、私が全く知らない中で、
父の葬儀が行なわれました。

父の死から1週間して、
母から手紙が来ました。
「父が亡くなった」と書いてありました。
その手紙を読んだ瞬間、
とても不思議なことが起こりました。

すなわち、私ではない何者かが、
私の体を使って泣いているのです。
何故、自分ではないと書いたかというと、
父の死を悲しんで泣いているとか、
私の感情とは別のものだったからです。
私の思いで泣いているわけではなかったのです。
これは亡くなった父が、
私の体に入ったのだと思いました。

そして、このように訴えています。
「申し訳ない、申し訳ない」
父は拉致監禁をしたことに対して詫びていました。
私は心の中で言いました。
「お父さん、謝らなくていいよ。
もう済んだことだから。
それより、申し訳ないと思うなら、
これから拉致監禁の解決のため協力してね」
そのように言ったら、
うそのように涙が消え、
何かが去っていったようでした。

さきほども書いたように
私は霊的に敏感な方ではないのですが、
この時ばかりは違いました。
父の霊人体を実感しました。
よく、大母様のことを否定する人がいますが、
本当に訓母様とともにいらっしゃるのだと思います。

父は霊界にいます。
私の拉致監禁の解決に対して、
訴えかけていると思います。
なので、私もどんなことがあっても、
この問題を解決しなければならない、
そう思っています。

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posted by ten1ko2 at 14:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | *私の拉致監禁体験記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月27日

「すべてが心情から出発した」み言葉から私たちが得られるものとは?


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私が拉致監禁された時のことです。

私は二人の牧師に説得を受けました。
二人とも「原理講論なんて間違いだらけであり、
むしろほとんどがおかしい」と言いながら、
聖書を片手に原理批判をしてきたものです。

彼らは、何か別の資料も持っていて、
それを参考に原理の一字一句を批判していました。
おそらく反対牧師共通の脱会説得マニュアルのようなものが、
あったと思います。

原理というものをどう解釈するかによって、
受け止め方が、まったく違ってくるのです。

み言葉を真理として受け止め、
何かを感じようと思うと、
さまざまなことを得ることができます。

文先生は、「すべてが心情から出発した」
と考えておられます。
いわゆる心情動機説です。

ですから神様の心情により、み言葉が生まれ
そのみ言葉により、形づけられます。

み言葉を信じ、神さまを信じていくところに
貴重なものが得られるのです。
そしてみ言葉の価値を更に発見していくことができます。

しかし反対に、最初から穿った目でみ言葉をみると
いくらでも批判できます。
み言葉の背後の心情を求めていかないと
おかしなものとして捉えられてしまいます。

最近、別グループの方たちが原理を批判し、
真の家庭を見つめるのも、
そういったところから出発しているのではないか、
そう思ってしまいます。


それでは、神様は、どうして
宇宙と人間を創造することができたのでしょうか。
それは、神様が心情をもっていらっしゃるからです。
心情があるところにおいてのみ生命が現れることができ、
生命があるところに発展運動(創造)が展開するためです。
ところが、その創造には必ず目的があるのですが、
その理由は、本来
心情というものは目的を指向するものだからです。
ですから、創造目的は、
心情を充足させる喜びであるといわざるを得ません。
そして、この喜びは、被造物、
特に人間が神様に似た時に訪れるのです。


文鮮明『宇宙の根本』p.55



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posted by ten1ko2 at 23:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | *私の拉致監禁体験記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月26日

「私は度量の狭い男ではない」文先生が越えられた道

周藤先生の証しを聞いたことがあります。

1969年43双の祝福を受けたとき。
旧本部教会の2階で、祝福を受けたメンバーに
文先生はこのように話されました。

「みんな、どこに行ってみたい?
先生は生まれたところに行きたい」
その後、しばらく沈黙が続いて、
先生は窓から遠くの方を見つめていました。

「先生のお母さんはね。
先生を本当に愛してくれたんだよ。
足にとげが刺さったのも気がつかないで、
先生を探し回った時もあったんだ。
親の愛をどれだけ感じたかわからない。
そして、興南でもう二度と会うことがなかったんだ」

その文先生が最後お母さんと出会った興南で
どんな言葉を交わしたのでしょうか。

文先生の生涯路程から引用してみます。

           ☆

(興南の)監獄にいる間、何度か母が訪ねてきました。
・・・乗り換えながら二十時間もかけて来るのです。
・・息子に食べさせるために、親族の八親等まで頼って米を一握りずつ集めて、
炒り粉(はったい粉)にして持ってきてくれました。
母は私が結婚する時に着た紬のズボンを持ってきてくれました。
囚人服は硫安で溶けてぼろぼろになって肌が見えていましたが、
私は母がくれた紬のズボンを穿かずに他の囚人にあげてしまいました。
親族を頼って準備してきたはったい粉も、
母が見ている前で囚人たちにすべて分け与えました。
息子に食べさせ、着させようと真心を込めて作ってきた食べ物と衣服を、
全部赤の他人に与えてしまうのを見て、
母は胸をかきむしって泣きました。
「お母さん、私は文なにがしの息子ではありません。
文なにがしの息子である前に、大韓民国の息子です。
また、大韓民国の息子である前に世界の息子であり、天地の息子です。
ですから、彼らを先に愛してから、
お母さんの言葉を聞き、お母さんを愛するのが道理です。
私は度量の狭い男ではないので、
そういう息子の母親らしくしてください。」
氷のように冷たい言葉を浴びせたのですが、
母の目を見る私の胸は張り裂けんばかりに痛かったのです。

           ☆

先生は何よりもお母さんの愛を心から感じていました。
しかし、先生は、それ以上に神様のことを考えていました。
「親の情にほだされて、
一歩でもみ旨を退けば、
他の誰が神様を解放するだろうか」

血の涙を流しながら、
それを越えて神様を愛していかれた文先生。
先駆けて乗り越えられた文先生ゆえに、
私も、最も辛い試練を越えていくことが出来たのだ、
そのように思っています。


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posted by ten1ko2 at 23:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | *私の拉致監禁体験記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする