2011年01月24日

天皇制を批判する反対牧師〜私の拉致監禁体験記〜(14)


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私の拉致監禁に携わった牧師とのやり取りのひとつを紹介します。

「原理講論の42ページを開けてください。
『無形にいます神の神性は、・・・そこでパウロは』
とありますね。ロマ書の1章20節を開けてください。」

私が、聖書を読んでいきます。
「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、
天地創造このかた、被造物において知られていて、
明らかに認められるからである。
したがって、彼らには弁解の余地がない。
なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、
感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、
その無知な心は暗くなったからである。
彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、
不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や
這うものの像に似せたのである。」

1章21節「なぜなら〜」から23節までは、
普段読まない箇所ですが、ここで出てくる「彼ら」というのは、
神様を崇めずに、偶像崇拝をする人たちのことを言っています。

ここで牧師はなぜだか、日本の偶像崇拝について、話し出しました。
「日本の神は偶像崇拝だし、恨みの神です。
なぜなら、恨みを持って死んでいった人たちを祭ってあるのですよ」

どういう意味かとするなら、「日本の神」というのは、天皇であり、
その天皇を神と崇めているから、「偶像崇拝だ」というのです。
さらには、「恨みを持って死んだ人を祭る」というのは、
靖国神社のことを言っています。

私はこのように言いました。
「私は、この前、靖国神社に行ってきました。
日本のために命をかけて戦い、死んでいった学徒出陣の学生たちの
写真や、家族に残していった手紙を読んで感動しました」

すると牧師の顔つきが変わり、このようなことを言い出しました。
「日本と天皇のためだと思っていない人、
クリスチャンだってここに眠らされているのですよ!」
と憎しみを持った口調で答えが返ってきたのです。

私は、「この人は、牧師なんだろうか、
天皇制を批判する左翼思想家なんだろうか」
と思ってしまいました。

この牧師は、日本基督教団に所属していました。
日本基督教団には、
「靖国・天皇制問題小委員会」「部落解放センター」
というものが存在しています。
何か、神様を中心として考えると
「ちょっと違うんじゃないか・・・」
と思うような思想が見え隠れしているような感じがするのは、
私だけではないでしょう。

神様が人類を愛するように、キリスト者として、
天皇を愛する立場だと思うのに、
顔つきが変わってしまうのは、いかがなものか、
と牧師と話しながら思ってしまいました。


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タグ:拉致監禁
posted by ten1ko2 at 07:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | *私の拉致監禁体験記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月08日

父との霊的な出会い〜拉致監禁体験記、番外編2〜


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父の死に関して、もう少し詳しく書きたいと思います。

実は、父が亡くなったことを私が知ったのは、
父の死後、1週間経ってからでした。


私が偽装脱会した後に、しばらくして軟禁状態になりました。
両親と弟が今まで、24時間体制でしたが、
軟禁状態になってからは、夜中の担当だった弟が、
任務を終えて、先に家に帰ることになりました。

家に帰る前に、弟はこんなことを言ってきました。
「兄貴はほんとうに統一教会を辞めるんだよな。
もしウソをついて、また教会に戻ったら、
何かあっても呼ばないからな」

偽装脱会するしか、監禁状態から抜け出す道がないわけですから、
私は「そんなことないから、大丈夫だよ」と言葉を返すしかありませんでした。

しかし、3か月後、弟の言ったことが現実になってしまったわけです。
父が亡くなった時に、弟は「葬式に兄貴を呼ばない」
と言い張ったそうです。
母は、父の葬式に呼びたかったようですが
弟は「絶対に駄目だ」と私に連絡させなかったと言います。

父が亡くなったことを知ることが出来たのは、母からの手紙でした。
手紙を読んだ後、しばらくすると何かが体に入ってきました。
私は、霊的にはとても鈍感な人間ですが、この時は違っていました。
父が体に入ってきたのを感じたのです。
そして「ごめんね。ごめんね」と言って、
私の体を使って泣くのです。
教会を反対し、私を拉致監禁したことを詫びていました。

私は体の中にいる父に話し掛けました。
「謝らなくていいよ、その代わり霊界で私の活動に協力してね」
すると、いつの間にか、父の存在が消えて、
私の涙も止まっていました。


その後、父の夢を何度か見ました。
詳細は書きませんが、『地獄から天国』の如くに、
夢の内容がどんどんと変化していきました。
個人的には、清平の初期(1995年)から何度も修練会に参加していますが、
その恩恵により、父の霊界での位置が、明らかに変わっていったと思っています。

1月5日の命日が来るたびに、霊界で活躍しているであろう父に負けないように、
神様から与えられた使命に対して、頑張らないといけないと思わされています。

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posted by ten1ko2 at 06:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | *私の拉致監禁体験記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月06日

父の命日に体験したこと〜拉致監禁体験記、番外編〜


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昨日は、父の16回目の命日でした。
父が亡くなったのは、私が1994年10月に拉致から逃れて、
偽装脱会をしてから、わずか3ヶ月足らずの出来事でした。

私が教会に戻ってから、父はすぐに仕事に戻ることが出来ませんでした。
年が明けて、仕事に復帰したその日、
自転車で出勤する途中に車にはねられてしまったのです。

拉致監禁を受けた者たちは、様々な試練を通過します。
そのうちの一つに、偽装脱会して教会に戻るしか道がないということです。
そして、そのことによって「もう親とは会えなくなるかも知れない」
という思いが、心に重く圧し掛かってきます。
この試練は簡単ではありません。

(偽装)脱会の決意をしたあと、軟禁状態になった時、
父が銭湯に連れて行ってくれました。
そこで、湯船につかりながら、
「身も心もさっぱりするとはこのことだ」
と嬉しそうに話していました。
そのあと、「これが最後かも知れない」
と思って、父の背中を流しました。
そして、本当に最後になってしまったわけです。

昨日の夕方、教会長が「一緒に風呂に行きませんか」
と誘ってくださいました。
年末、様々と忙しかった私を慰労してくださるために
声をかけてくださったのだと思い、『スーパー銭湯』に共に行きました。
しばらく湯につかっていると、今日が父の命日であり、
父と風呂に入ったことを思い出しました。
教会長は、教会では父の立場ですから、背中を流そうと思い立ち、
一度体を洗ったであろう教会長に
「背中を流させてください」と背中を流させてもらいました。

大きな背中を流しながら、父が喜んでいる感覚にさせられました。
同時に教会長の背中が、真の父の背中のようにも思えました。

教会長が何気なく私に誘ってくださった銭湯で、
とても貴重な体験をさせていただきました。
神様が与えてくださった配慮であると感じざるを得ません。


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posted by ten1ko2 at 06:41 | Comment(1) | TrackBack(0) | *私の拉致監禁体験記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする