2010年12月24日

私の拉致監禁体験記(13)


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両親と弟の前で原理講義をすることになったのは、
監禁されてから、7日目のことだった。

三人ともメモを持って準備している。
総序の部分をゆっくりと簡単に講義した。
両親は一生懸命メモしている。
どれだけ理解しているのかは、何とも言えないが
とにかく真剣に素直に聞いている。
弟は、的をついた質問をしながら、
理解しようとする雰囲気が伺えた。
「なかなか、面白いじゃない」と私を乗せるような発言をする。
私と弟のやり取りが終わるや否や、
「じゃあ、明日は創造原理をやろう」と父。
聞いた振りをして、早く講義を進めて欲しいという思いが見え見えであった。

翌日は創造原理の講義をした。
だいたい前日と同じように両親は理解しているのかいないのか、
とにかく一生懸命メモをしている。
弟が「宇宙は陽性と陰性の相対的関係によって創られている」という部分に興味を示していた。
両親は聞くには聞いても、質問も何もせず、
とにかく、聞いたことを条件として、先に進もうとしていることがわかる。
「じゃあ、明日また次の講義だね」と父。
結局は、牧師が来ることを前提にして、
お膳立ての如くに私が原理講義をしていることが明白であった。

その後も、堕落論・復帰原理と講義をしていったが、
だいたい両親と弟の様子は同じであった。

ここまで来れば、どのような展開になるのかがわかるので、
私の方から切り出してみた。
「どうせ、牧師が来るんでしょ?」
弟は「牧師さんと会いたい?」
「こういう生活をしていれば、会うことになるんだろうから、仕方ないよな」と私。
「じゃあ、牧師先生を呼んでいいんだね?」
「いいよ」私は(牧師が来るのが)少し早くないかな、と思いつつも頷いた。

やはり、全ては牧師の指示の元でここまで来たわけだ。
12日間、両親と弟、妹、親戚がやってきたが、
最終的に牧師との対決を乗り越えなければここを出ることが出来ない。
どんな牧師なのか、霊的に勝利できるか、
うまく偽装脱会できるだろうか。
ただ祈りつつ、次の日に備えていった。

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画像は「ペテロの否認」
カラバッジョ



posted by ten1ko2 at 07:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | *私の拉致監禁体験記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月11日

反対派の常套手段〜私の拉致監禁体験記(12)〜


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両親と弟と親戚の4人が常時、
ホテルの部屋の中で、私とともに生活をしている。
私は一歩も外に出ることが出来ないし、
両親たちも特別なことがない限りは、ほとんど部屋の中にいることになる。
一般的には、考えることが出来ない生活をしているのだ。

親戚がいなくなるのを合図としながら、
この日も両親と弟が私を囲んで話し始めた。
「何で統一教会に入ったの?」と母が聞いてくる。

どこが良かったのか、今の生活はどうか、家族を苦しませることに対してどう思っているのか、
そして原理は真理だと思っているのか、文鮮明(先生)に対しては、どう思っているのか、
いろいろと質問された。

私は、前回も書いたとおり、気持ちを込めて話すと
自分の気持ちが奪われてしまうと思って、極力淡々と答えた。
弟が無表情の私に対して、納得のいかない様子だったが、
相手のペースに乗ってはいけないと思い、そのままの調子で話していった。

何回か、このような話をした土台で、こんな話をしてきた。
たぶん弟からだと思う。
「原理が真理だと思うなら、何でこの場で話さないんだ。
今回、兄貴が伝道できるチャンスだから説明してみたらいいじゃないか。
俺たちも一生懸命聞くし、もし兄貴の説明で納得がいったら、教会に入ってもいいよ。
一挙に3人伝道できたら凄いじゃないか!」

素晴らしい誘惑の言葉。サタンというのは実に巧妙である。
一瞬、「3人が伝道できたらどれだけいいのだろうか」と思わされたのだが、
監禁下で講義をし、氏族が伝道された、などという話を聞いたことがない。
私は8/25に自宅で両親に講義をしようと思っていたのに、
監禁中のホテルで講義をするなんて、考えもしなかった。


原理を監禁下で語らせるのは、反対派の常套手段であります。
いくら涙で訴えたとしても、反対派の指導の下で聞いているのですから、
相手の思う壷というものです。

念のため、記しておきますが、弟のことを「サタン」といっているのではなく、
弟を通して、サタンが関与しているということを言っているので、
誤解しないようにお願いします。
次の回でその意味がわかります。



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画像はjohn the baptist-caravaggio
「洗礼ヨハネ」



posted by ten1ko2 at 03:24 | Comment(2) | TrackBack(0) | *私の拉致監禁体験記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月14日

涙の説得をする家族と、永遠の神様との葛藤の日々〜私の拉致監禁体験記(11)〜


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両親と弟の3人で、私が寝ているベッドの周りを囲んで話が始まった。

「こんなところでこんなことを誰もやりたくはない。でも仕方がなかったんだ」
監禁の正当化を主張してくる。

私が話に相対しない(聞く耳を持たない)ので、弟がいらいらしてきたようだ。
私は何を話したとしても、全て牧師に報告がいくのだから、
余計なことは話さないようにしようと決めていたので、最初の頃はろくすっぽ、口を聞かなかった。

ある意味、作戦の一つだったのである。
いずれ偽装脱会する時に、自分の印象を変えることも一つの手かも知れない、
そう思ってわざと心を閉ざすようにしていたわけだ。

弟が次第にじれったくなってきたようで、
「兄貴が何にも話さなかったらずっとこのままだぞ」とか、
「俺は兄貴のために一年でも二年でもここにいるつもりだよ」と脅してくる。

「今まで5年間どんなに苦しんできたかわかるか、一日もお前のことを忘れたことはなかった」
母が涙ながらに訴えてくる。

真実の言葉だと思う。
私自身は逆に親に対して、どれほど真剣に考えてきたのだろうか。
でも私は家族を導くためにいろいろ努力してきたではないか。
5年間、特に母を導くために様々尽くしてきたが、反対に向こうのわなにはまってしまい、
監禁されることになってしまったではないか。

心の中で、葛藤が続いた。

父も涙ながらに訴えてくる。
子どもの頃の話、先祖の話も出てきただろうか。
普段、寡黙な父がこれだけ熱を入れて話したことが過去にあっただろうか。
もし監禁されていない状況であれば、熱弁をふるう父にとても感激したに違いない。

3人は私を脱会させるために必死なのだ。

親を導くことが出来なかったという観点においては
失格のレッテルを貼らざるを得ません。
しかし、反対派につながった立場の親族を導くと言うのは簡単ではありません。

監禁下では、上記のような場面が必ず出てきます。
親の発言もその通りでしょう。

かつて山崎浩子さんが親族に説得されて脱会しましたが
監禁されてまもなく、お姉さんの
「今まで、どれだけあなたのことを考えてきたかわかっているの?」
という涙の訴えで、ほとんど気持ちがひっくり返っていたといいます。

私の足りなさ、過去の負債を感じることで
自分の心をマイナスにするのではなく
私が神様とつながらない限りは
親も親族も永遠に神様につながることができないんだ
という気持ちの切り替えをしながら
未来を見つめながら、臨まなければならないと思います。


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タグ:拉致監禁
posted by ten1ko2 at 07:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | *私の拉致監禁体験記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする