2010年10月30日

親をマインドコントロールする反対派〜私の拉致監禁体験記(10)〜


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2日間が過ぎた。
弟は夜型の生活になっていた。
昼間は寝ていることが多く、夜中ずっと起きて、
何やら本を読んでいた。
両親と親戚と弟の4人が24時間、私を監視している。
これは私が偽装脱会をする時までずっと続いていたのだ。

母は、ときおり外に出ていた。
買い物をすることもあるが、特に用事がないのに、外に出ていくので、
牧師に連絡を取っているんだと悟る。
その後、部屋で私の言動や行動で気になることがあると、
母は、必ずメモを取っていた。
そして、そのメモを持って外に出て行くので、
報・連・相をしているのは、ほぼ間違いないと思われる。

家族だけならば、このようなことをしないのだ。
牧師の指示によって、操り人形のように動いている。
そのことが本当に悔しくてならない。

統一教会の悪い噂を牧師から吹聴されたままを鵜呑みにし、
牧師の指示通りに脱会させるまで、私を拉致監禁している両親。

ショックと悔しさで、向こうから何を話しかけられても
一切無視を決め込んできたが、そうもいかなくなってきた。

この日、意を決したように、親戚が外に出たのを合図にして、
私が寝ているベッドに両親と弟が私を取り囲んだ。
いよいよ闘いが始まるのであった。



先日の有識者の会でも報告しましたが、
親が私を教会から辞めさせたいと思う動機は
本当に痛いほどわかります。
親は私を愛しているし、私もその親の愛がよくわかります。
しかし、親が聞いている統一教会は本当の姿ではありません。
反対派の作ったウソ偽りの姿にしか過ぎません。
ですから、辞めるわけにはいかないのです。

拉致監禁のショックと両親の愛する情のギャップの中で、
多くの信者は苦しんでいきます。
ですから、教会に戻ってきた方においても、
過去を語らない人がたくさんいらっしゃいます。
逆に話そうとしても、思い浮かばない人もいます。
あまりの衝撃を早く忘れたいと思って、記憶からなくしてしまったのです。
また、話そうとすると湿疹が表れてPTSDの症状になる人もいます。
このことを反対派たちはどう思っているのでしょうか。

純粋な心を踏みにじって親を操る牧師たち。
これこそマインドコントロールと言えないでしょうか。




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posted by ten1ko2 at 06:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | *私の拉致監禁体験記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月16日

〜神への通路を求めて〜私の拉致監禁体験記(9)


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知らないうちに眠っていたようだ。
朝は、何時ごろ目が覚めたのか。
ずいぶん外は明るくなっていた。
目覚めはしたが、寝ているふりをして朝の祈祷を捧げた。
もちろん声を出すことは出来ないが、
私が教会でお世話になっている人たちの名前をあげて、100回祈りを捧げる。
そして、今回関わった両親や親族の名前もあげて、100回祈りを捧げた。

条件として、祝福を受ける前に数年間続けた『コーヒー断食』を決行した。
風呂での水行も行なったが、水をたらいに入れて40杯体にかけることは
おそらく親たちに水行だとばれてしまうと思って、
シャワーで40秒間水をかけるという条件を立てた。

祈りを捧げ、さまざまな条件を立てるしかなかった。
何故か、
神様に通じる道がそこしかなかったからである。

外との通信手段は全て遮断されている。
そして、一緒にいる人たちは親族であったとしても、
統一教会を脱会して欲しいと願っている人たちである。
普通の会話は出来たとしても、神様を中心とした会話をすることは出来ない。

この霊的重圧感、圧迫感と言ったらいいのか、
閉じ込められている苦しさもあるが、
何より、心が苦しくて仕方がない。

やはり、体は監禁されたとしても、心は決して誰も奪うことは出来ないのだ。 

このような気持ちは、体験した人ならわかると思う。

条件を立てたからだろうか、監禁されてから毎日夢を見た。
ともに生活をしていた、青年部の兄弟姉妹とスタッフの顔が出てくる。
みんな、私のために祈ってくれているんだと勇気が湧いてきた。


40秒の水行なんて、馬鹿らしいというか、
何でそこまで、と思う人もいるかも知れませんね。
私もよくこんなことを考えたな、と思ってしまいます。
しかしそれだけ必死であり、切実であり、深刻であったのです。



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posted by ten1ko2 at 23:21 | Comment(2) | TrackBack(0) | *私の拉致監禁体験記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月09日

〜心情の十字架を越えて〜私の拉致監禁体験記(8)


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いつの間にか、外は暗くなっていた。
母が「お腹すいたでしょう?ご飯食べなさい」と夕食を食べるように促されたが、
無視をして寝ているふりをしながら、そのまま祈り続けた。

祈る中で、最終的には偽装脱会しかないと思った時、
両親の情を越えなければいけないという思いが出てくる。

両親は、私のためを思って、統一教会を脱会させることに全精力を注いでいる。
今まで、2年間準備してようやく私を「保護」したわけだ。
両親にとってみると、どれだけ教会をやめることを願っているであろうか。

その時、文先生の歩んできた道のりが浮かんできた。

1946年6月6日、神様の命を受けて、38度線を越えて北へ向かった後、
南から来たスパイであると誤解を受け、興南の強制収容所に投獄された。

そのことを知ったお母さんが、文先生の元を尋ねてきた。
田舎から愛する息子のために持ってきた炒り粉(はったい粉)を渡したにも関わらず、
文先生はどんな行動をとったのか。
大事なはったい粉をともに生活する囚人に与えたのだった。

愛するものを愛することの出来ない道を文先生は歩まなければならなかった。
文先生は特別な使命を持っていたので、個人的な感情で生活することが出来なかったのである。

親が私のことを心から愛していることは心の底からわかっている。
しかし、その親は誰に全てを委ねているのだろうか。
統一教会を反対する牧師、
統一教会を脱会させるためにはいかなる方法も厭わない指導をする者を信じているのだ。

自分を愛してくれていることはよくよくわかる。
しかし、親が私のことを愛する情を反対派たちがうまく利用していることを思うと、
悔しくて悔しくてたまらなかった。

「神様を裏切ることは出来ない」人情を越えて、天情を求めつつ、
祈っていると自然と涙があふれてきて仕方がなかった。


 (興南の)監獄にいる間、何度か母が訪ねてきました。
・・・乗り換えながら二十時間もかけて来るのです。
・・息子に食べさせるために、親族の八親等まで頼って米を一握りずつ集めて、
炒り粉(はったい粉)にして持ってきてくれました。

母は私が結婚する時に着た紬のズボンを持ってきてくれました。
囚人服は硫安で溶けてぼろぼろになって肌が見えていましたが、
私は母がくれた紬のズボンを穿かずに他の囚人にあげてしまいました。

親族を頼って準備してきたはったい粉も、
母が見ている前で囚人たちにすべて分け与えました。

息子に食べさせ、着させようと真心を込めて作ってきた食べ物と衣服を、
全部赤の他人に与えてしまうのを見て、
母は胸をかきむしって泣きました。

「お母さん、私は文なにがしの息子ではありません。
文なにがしの息子である前に、大韓民国の息子です。
また、大韓民国の息子である前に世界の息子であり、天地の息子です。
ですから、彼らを先に愛してから、
お母さんの言葉を聞き、お母さんを愛するのが道理です。
私は度量の狭い男ではないので、
そういう息子の母親らしくしてください。」

氷のように冷たい言葉を浴びせたのですが、
母の目を見る私の胸は張り裂けんばかりに痛かったのです。


(文鮮明著 「平和を愛する世界人として」 より抜粋)


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posted by ten1ko2 at 06:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | *私の拉致監禁体験記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする