2025年03月04日

転んで骨折、松葉杖生活で知ったこと 夫のワンオペ 《橘・夫婦愛エッセイ》



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橘先生のエッセイ「続・夫婦愛を育む」
今回は、『夫のワンオペ』です。


段差で転んで骨折、と耳にはしていましたが、
自分には当分先の話と思っていました。

遠方からの来客でバタバタ動いていた折、
不覚にもわずか数センチの高低差に足を取られました。

過去にもやっていた足首なので、今回も捻挫の診断が
下ると思っていましたが、少し折れているとのこと。
1カ月のギプス生活を告げられてしまいました。

そのこと自体かなりショックでしたが、
追い打ちをかけたのが、不自由さです。

貸していただいた松葉杖をうまく使いこなせません。
不器用な分、余分な体力を消費しているのでしょう。
数メートルの移動も一仕事で、
使える方の脚が筋肉痛を起こしています。


これまで松葉杖を使っている人を見かけても、
「けがしたんだ」くらいで、その大変さが全く
分かりませんでしたし(若い人には大変ではないかもですが)、
想像すらしてみませんでした。

その立場になってみないと分からない、
というのを改めて実感です。

私の松葉杖で歩く様があまりに危なっかしいので、
主人が会社に1カ月の在宅勤務を申請し、
許可されました(基本出社勤務)。
びっくりです。

妻の足首骨折ごときで、と
一昔前なら言われたことでしょう。
このご時世ならではですね
(社長さん自身が松葉杖生活を経験されたことも
許可の要因となったのかもしれません)。

私は申し訳ないこと限りなしです。
 

主人が働きながら家事を(時に育児も)こなすことは、
これまでも何度かありましたが、在宅では初めての経験です。

主人が会社の人や取引先の人と
電話で話すのが漏れ聞こえてきます。
通常家では見ることのない一面に触れることができ、新鮮です。

と同時に、定時を過ぎてもパソコンを打つ音が
聞こえてきて、忙しさが肌で感じられます。


そんな中、家事の面では、主人の負担を
極力少なくすべく最低限のことだけ
お願いするようにしています。
 
その際は、「都合のいい時に○○をしてくれると
ありがたいんだけど」という言い方を心がけて。
催促はしません。

わが家では、手拭きタオルは台所用、洗面所用、
トイレ用と3種類、基本的に色で区別しています。

毎日替えたいので主人にお願いすると、
長年使っていながら、その区別を
主人は全く認識していませんでした。

関心がないと言えばそれまでですが、
やはり男性故なのでしょうか。

以前にトイレの棚に敷く装飾用の紙を替えた時も、
「何か変わったの、分かる?」と聞いても見当すらつきませんでした。

ちなみに、洗濯後のタオルがしわっとなっていても
何も言いません(干す時にピンと伸ばしていない)。
清潔なのを使えるだけで感謝です。

あれこれと忙しい主人とは対照的に、
私の時間は人生初と言えるほど、
ゆ〜っくりと過ぎていきます。
さて、どう有益に過ごしましょう?

続・夫婦愛を育む 7
ナビゲーター:橘 幸世
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


素晴らしいご主人ですね!
妻のために在宅勤務に変更するなんて!!

ただ些細な日常生活に関心がない、
というところは私も同じですが。。。
いまだにタオルをどこに使うかわかっていないし( ´艸`)
タオルも脱水でねじれたまま干しては
指摘されています。

実は私の妻も、数年前に、1ヵ月
松葉杖生活だったことがあるんです。

しかも、橘先生と同じような原因で、
妻の場合は、骨折ではなかったですが。。。

本人は、日常生活自体、
相当、苦労していたと思います。

ただこの場で告白しますが、
妻のケアーに徹底するよりは、
「家事をするのが大変だ・・・」
という思いの方が強かったように思います。

また、昨年秋、私自身が手などを骨折して、
不自由な生活をしました。

徐々に回復しましたが、
体の一部を痛めただけなのに、
満身創痍の状態になり、
体をどうしていても辛い時期がありました。

人間の体の不思議さを感じると共に、
ちょっぴり人の痛みを共感することができました。

病気や怪我は辛く痛いものですが、
本人の気持ちを汲んで生活をすることが、
どれほど貴いことか、そのことに気づく
貴重な機会かもしれないと考えています。


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2025年01月20日

恥をかくために生きている?! 「自分をよしよし」してみよう 《夫婦愛♡講座》



250120-2024.1129.png


Blessed Lifeの人気エッセイスト、
橘幸世さんによるエッセー。
「不機嫌でもいい?」です。

 
先日、新聞に連載の時代小説を読んでいて、
こんなフレーズに出合いました。

「俺たちゃそもそも、恥を搔くために生きてンだってことにさ。
そいつが人に与えられた一番の仕事だってのを思い出したのだ。
完璧なんてものは幻想でしかないからな。

生きて、恥掻いて、また生きてってのを、
死ぬまで繰り返すのが本来の役目なんだと気付いたら、
俺の歩んできた道もあながち間違っちゃいねぇ
と思えてな」(『惣十郎浮世始末』)

  
小さな失敗をしてうなだれる雇人を
慰めるために主人公が発した言葉です。

この表現には驚きました。

「恥を掻(か)く」に関しては
自分にもあまた覚えがあります。

極論と思いつつも、筆者が何か深いことを
言ってくれるのかと続きを期待しましたが、
残念ながら恥うんぬんに関してはこれで終わりでした。

「恥を掻くのが一番の仕事」とは
到底肯定できない一方で、
この表現に少し気が楽になったのも事実です。

  
何十年も前の事でも、
「あの時あんなことをしてしまった」
「あんなことを言ってしまった」
「間違ってしまった」と、誰も
覚えていないであろう、本当にささいな事でも、
苦い経験がふと頭をよぎります。

忘れちゃったら楽なのに、厄介な心のお荷物。

でも、それが「生きている上で普通」
と言い切られると、荷が少し軽くなります。

自分の中にある“自分を責める存在”って、
もてあましがちです。

他人がそれらの失敗をしたら、
「気にしない、気にしない」と、
軽く受け流し励ましていたであろう事。

人がしたら許せるのに、自分がしたら許せない?
また、自分の言動に対する相手の
(本音の)反応を勝手に想像して勝手に傷つく、
というパターンもありますね。

  
先日、こんなことがありました(やらかしました)。

ちょっと疲れていた私。
作業中、ある人が背後から声をかけてきました。

でも、少しだけ反発を覚えた私は、
聞こえないふりをしてスルー。
作業を続けました。

相手の顔を見ていないので、
どう感じたかは分かりません。

後になって、「悪かったなぁ」
とまた心の中で引きずりました。

  
そんな時思い出したのが、婦人向け講座で
お話ししている、「不機嫌でいる権利」。

疲れてストレスを抱えて帰宅した夫が、
家族の気分を害さないように無理して明るく振る舞う。

それってしんどいでしょう。
家族の前でくらい、不機嫌でいさせてあげましょう。
負の感情を処理するのは簡単ではありません、
という内容です。

   
ふと、自分にもたまには不機嫌でいることを
許してあげよう、と思いました
(10年以上この話をしていて、
自分に当てはめたのは初めてでした!)。

以前にも本欄で触れましたが、
“自分をよしよしする”の、大事です。

「続・夫婦愛を育む」12
不機嫌でもいい?
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


「恥を掻くのが一番の仕事」。
そこまで割り切ることも大事なのかな、とも思います。。。

また、「不機嫌でいる権利」。
家庭で不機嫌でいられるのは、
相手が受け入れてくれる、
そういう間柄があることが
とても貴重なのだと思います。

甘えることができることも
ありがたいことなのだ、と思うのです。

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2024年12月27日

今年の罪、全て贖います?! レ・ミゼラブル(惨めな人たち)と言われても・・・ 《橘先生》



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橘幸世さんによるエッセーより、
「◯◯の罪の償い」です。


『世界経典U』では、テーマごとに
もろもろの経典などから引用がなされています。

「償還」の項には以下の一節がありました。

「償還は、損害に正確に相応する値段でなくても、誤った人が損害を受けた人に自ら補償するときに、最も効果的である。
ベルサイユ条約により第1次世界大戦が終わったのち、ドイツがフランスとイギリスに提供するよう強要された戦争賠償金と、第2次世界大戦後、ドイツがユダヤ人とその他のナチ犠牲者に提供した償還とを比較してみよ。
ドイツに戦争賠償金が強要された前者の場合、その戦争賠償金は、ドイツ人の大きな怒りを引き起こし、ヒトラーの登場に直接連結する、復讐に対する要求に油を注ぐ結果となった。
ナチの犯罪に対してドイツ人が本当に悔い改めた後者の場合、その償還は、ドイツと以前の怨讐国家の間に善の意志を広げるのに役立った」
(1461ページ)

償う側が償いの心をもってしなければ、
する側受ける側双方のためにならないという、
民族・国家レベルの事例です。


ギプス生活で動きのままならない私は、
15年前の入院時に読んだ『レ・ミゼラブル』を
引っ張り出しました(出してもらいました)。

人間心理の深層に食い込んだ内容に
改めて感銘を受けています。


主人公ジャン・ヴァルジャンが追手から逃れて
身を隠した女子修道院。

そこでは、物質面で見れば牢獄よりも過酷な環境下で、
女性たち(貴族出身も珍しくない)が神に仕えていました。

牢獄と修道院双方を、身を持って体験した
ジャンの目を通して、著者ユゴーはその対比を描いています

(彼は修道院を全面的に肯定しているわけでは
ありませんが、そこでささげられている
真摯〈しんし〉な精神には敬意を抱いています)。


牢獄の囚人は自ら犯した罪を償うためにそこにいますが、
非人道的な扱いを受けることで、
多くは恨みつらみを募らせます。

一方修道女たちは、そこから出ることが
できない点では囚人と同じですが、
自らの意志でそこにいて、日々苦行の生活を送り、
感謝の歌を歌い、償いの祈りをささげます。

何を償うのか。

自分が犯したのではない、他者が犯した罪、
地上で犯される全ての悪を償うべく、
祈っているというのです。

胸に来るものがありました。

 
先祖が犯した罪を蕩減復帰する、
というのは分かります。

自分の父母や祖父母・親族を通して、
ある程度の実感を持って推察できますので。

けれど、自分の知らない時代に国家が犯した罪を
責められると、正直私の中には、
素直に受け止めきれないものがありました。

修道女たちは、イエス様がそうされたように、
自分が犯したのではない、親族でもない、
見も知らぬ他人が犯した罪を償おうとしていたのです。

2000年間キリスト教が積み重ねてきたものの
一端に触れ、自分の器の小ささ、
主と仰ぐかたへの信仰の不足さを知らされました。

そのかたもまた、他者の罪、
人類の罪を自ら償おうとしてこられたのに…。

天一国時代、社会に関わって建設的な努力・
活動をしようという中にあっても、
(償い方の是非は横に置いて)新約時代の
尊い精神は、学び継承していかなければと思いました。

再編集 文責:ten1ko2
続・夫婦愛を育む 8
◯◯の罪の償い
ナビゲーター:橘 幸世
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=20136
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


『レ・ミゼラブル』は、邦訳が『ああ無情』で知られますが、
意味としてしては、「惨めな人々」。
「The 悲惨」というような感じでしょうか。

極貧状態の人々、社会の底辺にある人々を
描きつつ、主人公が変わっていくきっかけとして、
司教の愛に触れたことが大きかったと記憶しています。

橘先生は、そこで描かれる修道女たちの信仰に
感銘を受けたとのことですが、
実際の修道女たちの生きざまも、
本当に素晴らしいと思います。

代表的な人物は、マザーテレサでしょうか。
とても多く学ぶところがあります。

イエス様に侍って(仕えて)信仰するクリスチャン。
私たちは、実体の真の父母様に侍る者として、
もっと深い信仰を持つべきでしょうね。

『レ・ミゼラブル』
改めて読み返してみたいと思いました。


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