浅川先生が紹介された、自叙伝書写の体験談。
長く引きこもりだった娘さんと二人で
書写を続けたのですが──
☆
Aさんは84歳です。
長男、長女は県外で家庭を持ち、
ご主人が10年前に病気で亡くなってからは、
次女と二人暮らしです。
次女は小中高校、就職してからも
ずっといじめにあってきました。
中学の時には真っ裸にされプールに落とされるような、
壮絶ないじめに遭いました。
自律神経が乱れ急に倒れることもあり、
昼間もカーテンを閉め切って、15年間
ほとんど家から出ることができませんでした。
さらに毎日、「どうして私を生んだのか、
こんなに苦しいのに」とAさんを責め続けたのです。
Aさんはあまりに苦しくて受け止めることができず、
「この子がいるから、私はいつまでも苦しい。
このまま、娘に気を遣いながら生活しないといけないのか」
と思うと、人生に全く希望も持てませんでした。
そんな時、友人から自叙伝書写を薦められたのです。
「言葉を書写し続けると、必ず変わる」と言われたことを信じて、
娘にも薦めました。
娘もその言葉を信じて、親子で
一日も欠かさず書写を続けたのです。
娘は余白に「助けて下さい、
私の苦しい心を解放して下さい」と
用紙が真っ黒になるまで、
願い事を書き続けました。
事態はすぐには好転しませんでしたが
Aさんは、「必ず変わる」と信じて書写を続けました。
すると、ひらめきを得たのです。
「私は自分のことしか考えていなかった。
文鮮明先生の言う、為に生きることを
実践をしていなかった」
そこで通っている整骨院のトイレ掃除を始めました。
一生懸命掃除をする姿を見て、大勢の方が
「ありがとう」と声を掛け、中には
「どうして人の為にそんなことができるのですか」
と聞いてくる人もいました。
そしてついに、娘に対して
「あなたの苦しみに寄り添ってあげられなかった、
自分の思い込みで、あなたを追い詰めていた。
本当に申し訳ない母だったね
と素直に謝ることができたのです。
書写を始めて3年が経った頃、外に出られなかった
娘が、タクシーで買い物に行けるようになりました。
そして、Aさんに「これまで年取ったお母ちゃんに
ずっと無理をさせてごめんね、
これからは買い物には、私が行くからね」
と優しく言ってくれるようになり、
「これまでずっと愚痴を言ったり、
気持ちをぶつけたりしてごめんね」
と深々と謝ってきたのです。
「書写を書き続けたら必ず変わる」と信じ続けて3年。
次女は「これまでずっと、神様は
どうしてこんなにも苦しいことばかり
自分に与えるのかと怨んできたけれど、
今はこうして生きていることが嬉しい。
神様にも事情があったんだろう。
神様に感謝している」と穏やかに語りました。
「娘がいたから頑張れた。感謝だ」とAさん。
娘さんも「母がいたから生きてこられた。感謝だ」
と話します。
お互いを思いやり、気遣い、二人で寄り添いながら生きています。
広島県在住Aさんの体験談
引きこもりの娘が外出
(サンデー世界日報より)
引きこもりの娘が外出
(サンデー世界日報より)
感動的な証しですね。
親子二人とも、今までどれだけ苦しかったか。
そして、自叙伝書写を開始してから、
3年間が経過した、と言います。
1週間でも1か月でも1年でもなく、3年間。。。
決してあきらめることなく、
毎日毎日、ひたすら精誠を捧げていきました。
トイレ掃除をしたことも
大きなきっかけだったと思います。
昨日、復帰原理の講義を行ったのですが、
ヤコブ路程において、ちょうど同じような話をしました。
ハラン苦役路程において、
ラバンから10回騙されても、
ひたすら忍耐していったのは、
故郷でエサウと一つになるためだった、
今の苦労は、のちの勝利のために
肥しとなるためのものであると思う、と。
問題のない家庭など、一つもないのではないでしょうか。
今の現状のままでいい、とは思っていないのです。
だからこそ、問題解決のためにも
精誠を捧げていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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