2024年04月07日

ひとりぼっちだと思っていた私、実はこんなに愛されていた・・・ 《自己牧会プログラム》



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自己牧会プログラムの体験談。
「囚われを手放すと見えてきた父の愛」です。

(女性 20代)

私は東北で生まれ育った祝福二世です。
同世代の二世が少なかったせいか、
小さい頃から教会を楽しいとは思えず、
高校に進む頃にはほとんど教会に行かなくなりました。

高校卒業後、上京して専門学校に進み、
縁があってCARPの学舎に入りました。

でも卒業して、そのまま東京で就職してからは、
また教会と関係のない生活に戻ってしまったのです。

教会に行かなくなると、教会の人から、
心配というより否定されているような気持ちがして、
ますます距離を置くようになりました。

同時に、実家の家族とも連絡を取らなくなっていました。

かといって、私には一般の友達もいませんでした。
小さい頃から、二世以外の友達と付き合うと、
どうしても悪い方に流されてしまうという恐れがあり、
それなら縁を切ろうと思い、自ら交流を絶っていたのです。

祝福は子供の頃から考えていましたが、
全ての人間関係に距離を置いた結果、
誰にも相談することができませんでした。

「どうして私だけ孤独なんだろう。
二世として全然ダメだな」と、
自分を責めることも多くあり、
仕事のない日はほぼ、
家に引きこもったような生活をしていました。


そんなとき、CARP時代の同期の姉妹を通して、
自己牧会プログラムに出合いました。
聞いてみて、これが私の求めていたものだと確信しました。

自己牧会プログラムに取り組む中で、
一番変化したのは両親との関係でした。

私はずっと父を避けていました。
どうしてこんなに冷たい態度を
父に対して取ってしまうのか、
自分でも分からなかったのです。

ワークをしながら「囚(とら)われ」を外し続けて
いく中で、理由が分かってきました。

幼い頃、よく母が父の愚痴を私に言っていたので、
いつしか私は「父は母を傷つける人」
と思い込むようになっていたのです。

でも、よくよく思い返してみると、
父から何か嫌なことをされたことは一度もなく、
実はとても愛してくれていたことに気付いたのです。

そして、知らない土地で家庭を出発し、
相談できる人もいない中で4人の子供を生み育ててきた
母は、きっと孤独でつらかったのだろうなあと、
母の事情も理解できるようになりました。

囚われがなくなると、両親との会話も増えて、
帰省した折には、両親が復帰された時の話、
祝福を受けるに至った経緯などを聞く機会が増えました。

真の父母様と両親の間の愛の深さを感じ、
そこから生まれた私であることが感じられるようになりました。

そして、神様と真の父母様、両親やたくさんのかたがたの
精誠の中で私が存在していること、
祝福二世という存在がどれだけ貴いものかも実感できたのです。

 
両親は私にこう言ってくれました。

「あなたを祝福に導きたいと思っていたが、
どうしたらいいのか分からず苦しんでいた。
とにかくあなたのために祈っていたよ」

私はずっと孤独だと思っていましたが、
実は愛されていたのです。
私を信じ、投入し続けてくれていた両親がいたのです。

このことに気付いた時、私は初めて、
祝福を通して親孝行したいと思うようになりました。

この両親の選んだ人なら誰でも受け入れたい、
全てを委ねたいという気持ちになったのです。

そういう中で主体者と出会いました。
主体者に会った時、それまで経験してきた
つらいことは全て、この人に出会うために
あったのだなと思い、涙しました。

今は、神様と真の父母様、両親に
親孝行したい気持ちでいっぱいです。
主体者と共に、感謝してワクワクして歩みたいと思います。

私の心の中にいる神様 31
囚われを手放すと見えてきた父の愛
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=8248
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


心情が変わるとものごとの捉え方が、
こんなにも違うのだな、とつくづく感じます。。。

人間関係の中で一番重要なのが、親子の関係です。
ここが改善されれば、すべて改善されるのではないでしょうか。

今回、証しをした女性も、
両親との関係を回復したことをきっかけに、
神様、父母様との心情も深まり、
祝福にも向かうことができました。

自己牧会プログラムは、
本当に心情回復のきっかけになるのだ、
改めて感じるのです。

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posted by ten1ko2 at 17:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月06日

まずゴミを見つける?! 副作用ゼロの蕩減の捨て方は、感謝しかない 《蝶野部長精誠篇》第3巻スタート!



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お待たせしました!
蝶野知徳(ちょうの とものり)本部家庭教育部長の 
「精誠篇(せいせいへん)
3コマ目の講座を紹介します。


感謝ということは、もう何度も聞いてきたと
思いますが、それでも感謝できない。

でも(前の講義で)言葉で思うだけでもいいと話しました。
だけども、(心が)しっくりきたら
心から言いたいということもありますよね。

心から言いたい、心から言えない時には、
言葉だけでもいいということになります。

ただ結局、この蕩減というのは、
その発した一つの言葉で、
整理されるような軽いものもあれば、
感謝したその心で神様を迎えながら、
実体で苦労して切り開くという場合もあります。

いづれにせよ感謝から始まるんですね。

摂理とか、み旨というのは、感謝がなければ
まあ動いた分だけのことは動くかもしれませんけども、
何をやっても、神が私を通してやったと、
そしてプラス私の内面が作られていくということ、
これを得ようと思ったら、
やはりこの内面を無視することができない。


ですから そこで考えたいのは、
越えなければならないない内容は、
まずそれと出会わなければならないんですね。

だから、我々が感謝できないことと出会います。
でも、それは越えなければならないことなので、
これが、出会わないと始まらないのです。

例えば、家の中を掃除するためには、
何と出会わないといけない?
ゴミですね。
ゴミと出会わなければならない。

ゴミなんですよ。


掃除の好きな人は、
「あーここにもゴミがあった」って喜ぶんですね。

それなんです。
『あ、これで自分が綺麗になる』。

お父様(文鮮明先生)でも蕩減がいやだと
思ったんだけども、蕩減だと思ったら、
愛することができるようになったということです。

掃除が好きな人はゴミを愛しているのです、
「あった!」と思って。

でも、ゴミ自体が好きなわけじゃないんです。
ゴミが好きってのは、ちょっと異常ですからね。
そうじゃなくて、キレイになるために出会ったので、
喜んでいる状態です。


それと同じ感覚でいてください、心の蕩減の内容も。
自分の蕩減と出会うと、
『あ、これこの部分が私のゴミなんだ。見つけた!』

例えば「この礼拝堂に10個ゴミ隠しました」と、
「全部を見つけたらハワイ旅行ですよ」って言ったら、
1個を見つけるたびに嬉しいですよね。
あ、1個目、1個目って、
あの感覚で蕩減ができるのです。

楽しくてしょうがないんですよ。
そういうふうな感覚だと思ったらいいんですよ。
おまけに感謝できる心も作られます。

副作用ゼロです、皆さん。
かかる費用は0円ですよ。
タダでそんなことが良いことができる。

心を一つの主観、私の心の主人は私であるということです。
再創造の主人は私である。私に、全部任されているんです。


だから結局このゴミ。
ゴミを一個一個、こういうふうに見つけました。

ゴミと出会った、キレイになるから嬉しい、
感謝、ということですよ。

カチンとくることがあったら、
それだけ分、綺麗になるものを見つけた。
キレイになるためには出会わないといけない。

そのためには、その人がカチンとくることを
言ってくれないと、ダメなんです、これ。

だから、言ってくれた事に感謝
ということになるわけですよ。わかりますよね。

結局、蕩減するためには、
まずその「思い」と出会わないといけない。
思いと出会うためには「出来事」が
起こらなければならないわけですね。


ただ祝福家庭でもですね、
ご主人がパチンコ狂いで大変だと、
でも苦労して苦労して、大変だ
という方がいらっしゃいましたよ。

夫のパチンコ狂いで悩む蕩減が
その家にあるんですね。

ということは、それを清算するためには、
夫がパチンコ打ってくれないとダメなんですよ。
打ってくれないと清算できないんだから、
パチンコを打つことに悩むのを蕩減するためには、
打ってくれないと。

だからありがとうございます、となるわけですよ。
わかります、この世界が。


だから、非常に簡単にできる。
昔はうーんって気張ってたのがですね、
今だいぶ変わってきた。

自分に出てきた堕落性の思いってありますよね。
この講義聞いて帰り際から、
もう口から出てくる人もいるかもしれませんね。

ですから、結局ですね、私たちは
自分に悪い思いが出てきたときに、
『ああ、またやっちゃった』とですね。
相手とか自分、『やっぱり自分てダメだな』
と、自分を悪く思わないようにしてください。

『まあ聞いても、私すぐ忘れるから』、
という風にして、
みなさん、100%忘れるからご心配なく。
全員がお手々つないで100%忘れますから、
それは大丈夫です。

忘れたのを思い出してほしいだけなんですね。
相手や自分を嫌に思わないことです、これ。

自分の堕落性って、もう根強いですから。


だけどもいやに思わない。
これは発見できた自分の蕩減内容を、
抱えてしまってるんですよ。

あぁ、自分のゴミだーって。
皆さん家で掃除するとき、ゴミを体で抱えます?
見つけたゴミを、全部抱えませんよね。

ゴミは捨てるために見つけるわけです。
だから捨てたらいいだけですよ。

ですから清算のチャンス、(=蕩減)
今日のことできれいにするチャンス、
掃除のチャンスということですよ。

清算のチャンスのために、
思いを体験しているに過ぎないんです。

もう1回言います。
清算のチャンスのために、
思いを体験しているだけです。

その皆さんの堕落性自身(自体)が
皆さんじゃないのです。
そう思ったらいいです、逆に、うん。

体験してるにすぎないと悟ること。
ゴミは発見して抱えるものでなく、捨てるものだから。


どうやって捨てます?

「ありがとうございます」と言ったら
捨てることになるんです。

だから神様とサタンから見たら、
「こいつはこんな目に遭っても
ありがとうございますと言ったぞ」と、
これは罪の清算の方に回すしかない、
となるわけですよ。

蝶野知徳・精誠篇3 
父母による子女の家庭教育 精誠篇より
「内的蕩減と生活信仰」
摂理される私、実体基台のために
2018年に蝶野部長が広島の家庭教育部長だった頃
全国の教区から要請があり出張して語られた講義より
(文責:ten1ko2)


やはり、何事にも感謝する、
という意識の捉え方が必要なのだ、と感じます。

真の愛を体恤していれば、
どんな試練を受けても、
堕落性に引っかかることはありません。

私たちは、本当に細かいことに引っかかります。
でもそれは、「私の成長のために、神様から与えられたもの」
そのように、受け止めることが重要なのだと思います。



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2024年04月05日

あなたがいるから完璧になれる 天国にいる妻と夫婦の合作とは!?夫婦合同の人生



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私が愛読しているブログのひとつに
「まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)」
があります。

ブログ主さんとは、一度も直接
お会いしたことがないのですが、
ブログを通じて、交流をしたこともありますし、
とても尊敬している方でもあります。

先日、とても印象に残る記事がありましたので、
少し紹介させていただきます。
http://kitasendo.blog12.fc2.com/blog-entry-3418.html


ブログ主さんが公務をされている時、
職場(教会)からご自宅まで、
車を走らせていた時に思ったことを、
ブログにしたためました。

途中で文章が止まり、「何でこんなこと書いているんだろう?」
パソコンを閉じて、そのまま床に就くと、
聖和された奥様が夢に現れたそうです。

夢の中での会話です。


妻)「この20数年間、あなたが自分で考へたり
閃いたりしたやうに思つてきたことの大半は、
私がこちら(あの世)に来てから分かるやうになつたことよ。

私が悟つたことをあなたに伝へる。
すると、そのアイデアがあなたの頭に浮かんで、
あなたが記事に書いたり、講義に取り入れたりしてくれたの」

夫)「えゝ! それぢやあ。
これまで書いてきた記事の大半は、
私が考へたんぢやなく、君が考へたことだつたのか!」

妻)「その通りよ」

夫)「私は自分で考へたのではなく、
君の考へを写し取つてゐただけなのか」

妻)「いゝえ。さうぢやない。
私はこちらで新しい智慧に目覚めていくけど、
その智慧には表現者が必要なの。

私にはそれが新しい智慧だといふことは分かるけど、
形が明確ぢやなく、整理されてない。

そのぼんやりした閃きを、私があなたに伝へる。
すると、あなたはそれを整理して、
きちんと理路整然とした形にしてくれる。

あなたの記事を見て、私も初めて
『あゝ、私はこんなことを悟つてゐたんだ』
と分かるの。

だから、あなたがゐないと、私の悟りは完全にならない。
あなたの記事は、私とあなたとの合作なのよ」



ブログ主さんは、文字にこだわりがあり、
「旧かな(歴史的かな遣い)」で表現されています。
とても、味わいのある文章ですよね。。。

夢の中での奥様との会話。
とても感動しました。

ブログ主さんの「まるくまーる」は、
霊界にいらっしゃる奥様との「合作」です。

奥様は、ご主人を心から愛しているので、
霊界から、様々な協助をしていると感じます。

相思相愛ですと、
霊界の働きは絶大なものになると思います。

お母様が指示される様々な内容も、
お父様の協助なくしては、なされないことばかりです。

天心苑徹夜精誠で成される奇跡や悟りも
ある意味では、真の父母様の愛の中で成される、
合作ではないか。。。そう思うのです。




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posted by ten1ko2 at 09:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする