2024年11月25日

7日間眠らされずに共産党の取り調べ、再臨主は魔術を使ったのか?! 《金元弼先生》



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金元弼(ウォンピル)先生の証し。

1948年2月、文鮮明(ムン ソンミョン)師と
元弼先生は、連行されました。
今回は、「内務省での取り調べ」です。


その当時、先生は、
“私はもう牢屋に入るんだ”ということが
分かっておられたと思いますか、
分かっていなかったと思いますか。

イエス様が来られたときに、
十字架につけられると思っていたのでしょうか、
それともつけられないと思っていたのでしょうか。

まず第一に、十字架につけられるとは考えませんでした。
しかし人間がみ旨について行かないとするならば、
そういうことも起こりうるというお考えはあったでしょう。


内務省に連行された先生を、
刑事たちも魔術師のごとく考えていたので、
三、四人が先生を調査しはじめました。

先生が魔法を使うと思っているので、
調査の途中でも、先生がトイレに行かれれば、
魔法を使っていなくなるのではないかと思い、
常に二人の刑事がトイレまでついていったのです。

また万人にしておくといついなくなるかも知れないというので、
先生を七日間眠らせないで監視しました。

共産党の拷問の中でも、最も大変な拷問には、
食べさせない、寝かせないというものがありました。
そうしますと、言うとおりに答えるようになるのです。

官憲は、先生を寝かせないために、自分たちだけは交替して眠り、
先生が眠りそうな時間になると眠らないようにしたのです。
どんどん話しかけるのでした。


私が二日間入って取り調べられた内容と、
先生に対してどういう罪をかけようとしていたのか
ということの一端をお話しします。

私は二つのことについて中心的に聞かれました。

一つは、「お前はこの人をどういう人だと
信じているのか」ということでした。

その次に、「お前は教会に
献金をしたことがあるかどうか」と聞くのです。

この人たちはキリスト教の教理とかは頭にはありません。
それは何でも構わないのです。
なぜならば、彼らはキリスト教自体を否定していたからです。

彼らは、教会の人々からお金を搾取して、
これを私たちが自分のために使ったのではないか、
というところをねらっているのです。

また、先生がどういう人であるか聞いたのは、
メシヤといって、それを利用して
たくさんのお金を取ろうとしたという条件を奪おうとしたのです。

私のことをもっと詳しく調べるために、
私は小学生を教えていた時ですので、
私が学校で担当していた子供たち全員を一人一人呼んで、
「金先生はお前たちに何を教えたのか」と全部調べました。


先生には七日間寝かせない取り調べでした。

そういう中で、先生が拷問を乗り越えられたのは、
目を開けながら十分間でも熟睡することを心得ておられたからです。
目を開けているので、官憲は眠っていないと思うのです。

I 平壌開拓から興南解放
第三章 興南監獄での伝道
「内務省での取り調べ」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


北韓での拷問は、どれだけ酷(むご)いものだったでしょうか。。。
「眠らせなかった」とは聞いていましたが、
「七日間」とは、空恐ろしいです。

お父様(文鮮明先生)は目を開けて眠られた、と
以前、講義で聞いていましたが、
元弼先生が証しをされていますので、
本当にそうだったのだ、と思いました。

拷問といえば、クリスチャンたちに対して、
江戸幕府があまりにも残酷な拷問をしたことがありますが、
同じ人でありながら、良心が痛まなかったのだろうかと、
本当に恐ろしいなと感じます。

そういう時代、そのような凄惨なところを
通過しながら、生きて
世界の人たちのため、平和のために
大きな業績を立ててくださいました。

お父様も、金元弼先生も
すでに霊界に旅立たれていますが、
このように元弼先生のお話を通して、
当時の様子を知ることができることは、
実に貴いことだと思います。

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2024年11月24日

私は毎日、真のお母様と会話をしています 良心の声はTM 《自己牧会プログラム》



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自己牧会プログラムの証し、
今回は「良心の声はお母様のみ声そのもの」です。

(男性 50代)

息子(祝福二世)が持っていた
「自己牧会プログラム」の本を読んで、
「これを探していた、これを待っていた」と
とても感動したのが、初めての出会いでした。

以来、少しずつですが、心と体の統一、
そして良心の声を聞くことを意識しながら生活しています。


3月のこと、所属する地区の希望前進礼拝を
目前にしながら、良心との対話がうまくできず、
行き詰まってしまいました。

その時、以前に伝道前線を歩んでいた頃、
真の父母様に報告するよう意識して、
責任者に電話連絡をしていたことを思い出しました。

公衆電話の受話器を取って番号を押した後、
受話器の向こうに真の父母様がいらっしゃって、
本当に電話に出てくださっていることを
イメージしながら報告していたのです。

こういうことを言ったらこういう答えが
返ってくるだろうなという予想に反して、
思いがけない言葉が返ってくることが多く、
真の父母様が直接、指導して
くださっていることを実感する日々でした。

その体験を思い起こしながら、
真のお母様にお電話するような意識で、
良心と対話してみたのです。

すると、思ってもいなかったような、
お母様との深い心の交流をすることができました。


私「日本の第○地区◯◯教区〇〇家庭教会の◯◯と申します。
 今度の希望前進礼拝、よろしくお願いいたします」

お母様「はい、よろしくね」
(笑顔で優しく応えてくださった)

私「天寳勝利家庭を目指し、
  伝道を勝利したいと思っています」

お母様「分かってるわ」

私「親族を導く勇気と決意がありません」

お母様「私が愛しているから大丈夫よ」


この時、このような足りない者を無条件に愛してくださる
お母様の深い愛が伝わってきて、
また私と私の家庭の全てを知ってくださっているんだ
と感じて、涙があふれました。

さらに対話を続けました。

私「家庭を持ってから27年、信仰の子女を
  生かすことができず、霊的に死なせてしまいました」

お母様「私は子女を失いました」

そのみ言の中に、真の子女様を霊界に送った
とても深い痛みと、それを超えてこられた
計り知れない愛と涙が込められているのを感じ、
私はしばらく言葉を失いました。

するとお母様はこう言って、励ましてくださいました。
「全てを母に委ねて歩んでみなさい。
あなたが成すのではなく私が成すのよ。
私を信じて委ねていくのよ」


以来、祈りの中でお母様と対話しながら、
答えを頂いています。
 
きょうもお母様から、
「あなたたちには愛の種を渡したのよ。
 それを咲かせて愛を与えに行きなさい」
と言われました。

私にとって、良心の声はまさしく、
お母様のみ声そのものであると思っています。

私の心の中にいる神様 82
良心の声はお母様のみ声そのもの

(blessed lifeより)


「良心の声はお母様のみ声・・・」
なるほど、良心に語り掛けるのでなく、
良心とともにある、お母様に、
語り掛ける、ということなんですね。。。

お母様とともにある生活は、
どれほど恩恵があることでしょうか。

貴重な証し、ありがとうございます。
実践あるのみ、今日から行っていきたいと思います!


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2024年11月23日

私の代々木聖地巡礼 “エリコの城壁”、銀杏の実からの呼びかけとは・・・ 《制作の舞台裏から》



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国立代々木競技場の石垣(“エリコの城壁”)、遠方に見えるのは第二体育館とNHK放送センター

光言社の「制作の舞台裏から」より、
『番組制作に携わる中で出合った
代々木の聖地での精誠祈祷』です。


私が携わってきた番組制作の中で、
心霊的に最も大きな感化を受けたのが
シリーズ「会長メッセージ」である。
(徳野英治会長当時2017年2月から
2020年9月までの3年半で約40本製作)


母の国、神日本を代表してその責任を持つ
会長が語られるメッセージには力があり、
一言一言に霊的な重みが感じられた。

こちらも精誠を尽くして撮影に臨まないと、
自らの霊人体が吹き飛びそうな感覚を覚えたものだ。

また、2020年の年末から新年にかけては、
会長団が代々木の聖地で徹夜祈祷を行い、
新年の出発をしたことに深い感銘を受けた。

それをきっかけに、日頃から番組制作を進める中で、
自らの霊的精誠が不足していることを感じていた私は、
「今後も番組制作に携わっていくならば、
祈祷の精誠をしっかりと立てた上で制作に臨みたい」
と思うようになった。

それ以来、会社の帰り道には毎回、
代々木の聖地に立ち寄り祈祷をささげることとなった。


日々を重ねる中で、2021年夏の東京オリンピック開催が
近づいてくると、聖地周辺の立ち入りが制限され、
聖地に入ることができなくなった。

(そこで)代々木の聖地を円心として、隣接する
国立代々木競技場とNHKを新たなエリアとして加えて、
大きな四角形を描く周辺の道のりを
歩きながら祈祷することにしたのだ。(一周約40分)

(…)U-ONE TVは、真のお父様から
「電波世界で一番になりなさい。
NHKを超えなさい」
というみ言を受けてスタートしたので、
NHK放送センターの社屋の前に毎回立つことで、
与えられたミッションに対する
信念を貫き通すことの大切さを感じた。

オリンピックが終了し、立ち入り制限が解除された後も、
この道のりを歩きながら祈祷をささげる日々を積み重ねている。


ところで、昨年の10月に聖地のイチョウの木の前で
祈っていると、サークルベンチの上に
イチョウの実が3個並べて置いてあった。

私が「なんとかわいらしい実だろう!」と思った瞬間、
イチョウの実から「私を持って帰って!」
というメッセージが私の心に届いたのだ。

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私は丁寧にそれを包み、家に持ち帰り鉢植えに植えた。
翌週も同じようなことがあったので、
さらに9個の実を持ち帰り植えた。

ひと冬を越えて、今年の春になると、
何とそこから2本の芽が発芽していたのである。

12個も実を植えたのにたった2個しか発芽しなかった。

私はこのことから、次のような
天のメッセージとして受け取ることにした。


「神はイスラエル民族の各部族から族長一人ずつを集めて、
十二名をカナンの地に送り(民数一三・2)
四十日間にわたって偵察をさせられた(民数一三・25)。

しかし、偵察から戻ってきた十二名のうち、
ヨシュアとカレブとを除いては
全部が不信仰な報告をしたのである。

……ヨシュアとカレブとは、カナンの地の民たちは、
彼らを守る者が既に取り除かれているので、
イスラエルの食いものにすぎない。

その反面、我々には、主が保護者として
ついておられるのだから、恐れることなく
彼らを攻撃することによって、神に背かないように
しなければならないと叫んだのである(民数一四・9)
(『原理講論』380〜381ページ)

カナンの地に送られた12人を、鉢に植えた
12個の実に例えれば、発芽したのは、
ヨシュアとカレブとも捉えることができる。

 
さらに、この道のりを進むと、国立代々木競技場の
高い石垣(冒頭の写真)が眼前にそびえ立っている。

私はこれを“エリコの城壁”と呼んでいる。

エリコの城壁に関しては、『原理講論』(397〜398ページ)に、
以下のように記載された箇所がある。

「七日目に七つのラッパを吹く七人の祭司たちが、
城を七度回りながら七度目にラッパを吹いたとき、
ヨシュアがイスラエルの民に向かって、
『呼ばわりなさい。主はこの町をあなたがたに賜わった』
と号令すると、民はみなこれに応じて、
一斉に大声をあげて呼ばわったので、その城が、
たちまちにして崩れてしまったのであった」



以上のような事象から、私が得られた気付きとして、
「今は時が満ちたので、一斉に声を上げて
正々堂々と真実を述べ伝えていこう。

そうすれば必ず、私たちの前に立ちふさがる
堅固な城壁もその内から崩れていく。

私たちは今、それ以上に高い
堅固な精誠の頂きを築いていこう。
強く雄々しくあれ!」
と決意を新たにした次第だ。

制作の舞台裏から 77
番組制作に携わる中で出合った代々木の聖地での精誠祈祷
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=26091
(Blessed Lifeより)
一部割愛、再編集 文責:ten1ko2


代々木聖地での精誠、素晴らしいと思います。

しっかりとした動機をもって出されたので、
証しが立てられたのだと思います。

言われたから行う精誠より、
自らが目的をもって立てる精誠は、
天が覚え、それに見合う恩恵を
与えられるのだな、と感じました。


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