2024年10月21日

(証し)神様は、父と母、「天のお母様」と呼んでみると・・・ 《史吉子先生》



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神様は、父と母である──

家庭連合では、神様のことを
「天の父母様」と呼びます。

史吉子(サ キルジャ)先生のみ言より、
「天のお父様」だけでなく、
「天のお母様」を求めてくださいという
とても貴重な証しです。

私たちが知るべき天のお母様

私たちが一つ知らなければならないことは、
神様には天のお父様だけではなく、
天のお母様もいらっしゃることです。

大邱へ行くと、李月光(イウォルグァン)勧士がおられます。
その方は普段から、神様と一問一答する神霊的な方でした。

その方が初めて天のお母様を発見されましたが、
その方は既成教会に通っている時から
按手の能力がありました。

神様はその方に恩恵をくださろうとして、
山や野に呼び出して精誠を立てさせたそうです。

そうして優秀な神霊者になって、
人々に按手祈祷をたくさんしてあげましたが、
統一教会に入教した後、原理を聞いてからは、
できるだけそのようなことをしないようにしたそうです。

それなのに、しきりに患者が尋ねて来るので、
仕方なく按手祈祷をしてあげるしかなかったのですが、
病気を治してあげると、 自分が蕩減を受けるそうです。


それで按手祈祷をするのが嫌で、ある時は教区長と
按手祈祷集会を開くことを約束したにもかかわらず、
その集会場へ行かなかったそうです。

すると、神様が腹を立てて去って行かれたそうです。
神様が去ってからは、どこか深い所に落ちたのか、
上に上がるのか下がるのか、前後を全然見分けることができず、
まっ暗な所に閉じ込められたようであったそうです。

それでびっくりして、「神様!神様!」と言いながら、
喉が裂ける程に叫んだそうです。
それでも、何の回答も無かったそうです。


その瞬間に、「そうだ!
天のお母様がいらっしゃる!」と言う考えが浮んで、
「天のお母様!!天のお母様!」と言いながら、
ありったけの声を出して天のお母様を呼んだそうです。

普段は天のお父様が、「おお、愛する私の娘よ」
と言いながら男性の声で話されるのに、
今回は「どうしたの〜?」
と柔らかい母親の声で話されたそうです。

それでその勧士が、
「天のお母様!私を助けてください。
天のお父様が私を捨てられましたが、
どうすれば良いですか?」と哀願したそうです。

天のお母様が、「それでは待っていなさい。
私がお父様にお訊きして来るから」
と言われたそうです。

そして暫くしてから現れて、
「あなたは、どうして約束したことを守らなかったの?
一日に12回以上もあなたが心変わりをしたから、
天のお父様がとても怒られたのよ」と言われたそうです。

その話を聞いてこの勧士は、
「天のお母様! 今回、一度だけ許してください。
二度とそのように致しません」とお詫びしたそうです。

すると、「そう??それではまた行って
お訊きして来るから」 と言って行かれましたが、
また来られて、
「天のお父様は到底許すことができないが、
天のお母様が頼むので、今回一度だけは許してあげる」
と言われたそうです。


このように、天のお母様が
天のお父様の側に一緒にいらっしゃるのですが、
人間は天のお父様だけを探し求めて、
誰も天のお母様を探し求めませんでした。

それなのに、「あなたは、私をどのように探したの?」
と言われながら、 「ありがとう」 と言われたそうです。

ところで、天のお母様の声をじっと聞いていたら、
その声が真のお母様の声だったと言われました。


この話を聞いた後、私も祈る度に天のお父様を呼びながら、
「天のお母様」と一緒に呼びましたが、
私が先にお話しした啓示 (イーストガーデン聖地での啓示)を
くださった方は、天のお母様みたいでした。

なぜならば、私が母性愛を感じたからです。

すなわち、天のお父様だけを呼ぶ時よりも、
天のお母様を一緒に呼んでみると、
完璧で均衡の取れた、誠に心強い神様がいらっしゃるようでした。

私が皆さんに天のお母様を探し出してあげたので、
これからは祈る時に、そのように呼んでみてください。

私は天のお父様だけを呼ぶ時よりも、
天のお母様を一緒に呼ぶと、
どんなに胸が暖かくなるかわかりません。

天のお母様が、
「どうして私を知って呼ぶの? ありがとう」
とおっしゃったと言われたではないですか?

こんなにも柔らかくて、優しい
天のお母様がいらっしゃるということを、
皆さんが知ったら良いと思います。

史吉子/ 著「原理に関するみ言の証」
巡伝団(大学卒業生の巡回伝道団)原理講師要請修練会1996年、
40日祝福家庭婦人修練会(天宙清平修錬苑)2005年〜
これらの特別講義の内容を整理したもの

再編集 文責:ten1ko2


最近は天心苑祈祷の際、
韓国語で、お父様、お母様と何度も呼びかけますが、
そうすることによって、天に通じます。

一度も涙の祈祷をしたことがなかった人も、
知らないうちに涙が出たと証ししていました。

それは、もしかしたら、天のお父様だけでなく
お母様に呼びかけるからかもしれません。

真のお母様より、神様を
「天の父母様」と呼称するようになったのは、
真のお父様の聖和の後のことです。

このみ言が語られたのは、2000年前後ですが、
すでにこの時から史吉子先生は、
「天のお母様」というお話をしておられたのですね。

この勧士ニムの証しによると、
神様は、天のお父様と天のお母様、
二つの人格があるのですね。

といっても、男性神と女性神という独立したものではなく、
父母であり、親である、
二人で一つの存在だといいます。

改めて、神様は天の父母である、
そういう意識をもって、神様に向かい合いたい・・・
そのように思うのです。


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2024年10月20日

「率直は常に神に通ず」 祈ってすぐに答えが返ってこなくても、ガッカリすることはない 《蝶野部長》



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蝶野部長の「祈り方」より、
「感謝を基盤に、率直に祈る」前半です。

愛の実践のために
◆愛の実践の力

「愛を実践させる刺激を連続させるためには、
 祈りが必要です。
 ですから、祈りというものは、
 愛を実践するために必要なのです」
(『愛天愛人愛国』31〜32ページ)

祈りは、愛を実践するときに、
自分を刺激し続けるために必要なものです。

愛の主人である神様と授受作用し続けることで、
横的な愛の実践のための力を得続けられるということです。

◆報告し、実践する

「神様に祈ることは、自分の事情を報告することです。
 それで近くなるのです。
 そして、言葉だけでするのではなく、
 実践して報告するので、報告することが
 実績として残ります。

 残される報告なので、天が干渉して祝福をするのです」
(同34ページ)

祈祷において、常日頃から自分の事情を告白し、
報告していれば、神様と心情的な距離が近くなります。

また、祈ったことを実践し、生活の中で
体験したものをまた報告していくならば、
言葉だけのものではなく実体で尽くした条件があるので、
天がその報告に対してより干渉できるということです。

祈りの答えのために

◆率直に祈る

包み隠さず心から率直に祈れば、
常に私に真実に対してくださる神様に相対できます。

「率直はいつも(神に)通ず」(マルスム選集45−261)
というみ言もあります。

どのようなことも神様に報告したという条件を、
最低限立てるべきです。

◆諦めない

「祈りに対して、すぐに答えが返ってこなくても、
 ガッカリすることはありません。

 時には長い時間がかかることもあるのです。

(中略)多くの人は、祈っても聞き入れられないと
 祈りを止め、神様を裏切ります。
 最後の1インチを
 耐えることができないのです」
(「祈祷の重要性」1979年4月15日・ベルベディア)


◆生活が祈りに 

「祈り」に求める内容が、実体の生活や行動にも
同じようににじみ出ているとき、
生活自体が祈りとなっていきます。

またこのとき、この者の祈りは
観念ではなく真実であるという条件が立つのです。

『祝福家庭』110号(2023年秋季号)
家庭理想の実現
祈り方(後)感謝を基盤に、率直に祈る
https://www.kogensha.jp/news/detail.php?id=10135
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


神様との対話、祈りにおいては、
神様からの回答は、時空を超越しています。

長く祈って、答えが返ってくるときもあり、
求めても与えられない時もあり、
一瞬のうちに与えられる時もあります。

しかし、長く、そして、深く祈るには越したことはないと思います。
「フクロウチーム」と呼ばれている
天心苑、霊性40修生たちが捧げる精誠は、
本当に素晴らしいのです。

先日、李基誠苑長が話されていましたが、
このチームは3つに分担されていて、
徹夜精誠を終えてから、朝の8時まで祈るチーム
そして、午後3時まで祈るチーム、
また、徹夜精誠が始まる、夜10時まで祈るチームです。

すなわち、徹夜精誠は夜10時から1時までの3時間なので、
7時間×3チーム=21時間、
すなわち、24時間休みなく祈り続けている、というのです。

さらに苑長が指示をして始めたのではなく、
メンバーたちが主体的に決めたことなのだそうです。

これを精誠と言わずして、
何が精誠でしょうか。

この祈りは、神様に必ず聞かれているし、
祈りの内容は必ず成就すると思うのです。


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2024年10月19日

東洋のエルサレム、涙を流さない人がいない「泣く教会」の伝説、真実は… 《金元弼先生》



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金元弼(キン ウォンピル)先生が10代の頃に
直接体験した、貴重な平壌時代の証しです。

「いつも弟子に関心をもたれる先生」より
2コマを紹介します。


祈りと神と人への愛

礼拝のお祈りの時、あるいは準備をしている時には、
常にほかの人のことを考えてほしいと思います。

お祈りしているということは、神との対話の時間になるわけです。
お祈りしている時に、“バン”と音がしますと、
皆さんのお祈りはパッと切れ、分散されてしまいます。

ですからお祈りをしている人がいる時には、
神を愛する、人を愛するという礼儀作法として、
その人の邪魔にならないようにするということは
非常に大事なことだと思います。

私がたまたま部屋でお祈りしていると、非常に大きな音を立てて、
そのまま気にかけずに歩いていく人がいますけれども、
皆さんはそういう人に教えてあげなければいけません。

祈祷は神との対話の時間だということを皆さんはよく心得て、
人の邪魔にならないような生活をするということ自体が、
その人を愛し神を愛することになるわけです。


み言に酔った信徒

日曜日には、サンデー・サービス(礼拝)があります。

説教者に予定されたとき、どのように説教したらよいか
分からないので、日曜日が来るのが非常に不安な時があります。

聖書を中心としてどのように説教したらいいのか。
統一原理の内容と聖書をどのようにかみ合わせていったらいいのかと。


先生はいつも朝早くみ言を語られました。
今は聖書をそんなに見られませんけれども、
先生が韓国におられた時に、サンデー・サービスの前には
必ず聖書を読んで、聖書の内容を中心として、
ずっとみ言を語ってくださいました。

先生が説教していらっしゃると、
霊能者たちは高い心霊の状態になりました。

ある人にお祈りをさせると、代表して
立ってお祈りするのですが、霊界に入ってしまうのです。
その祈りが終わらないと、次の式順に進めません。

非常に不思議なことですが、先生が「もうやめなさい」と言われると、
霊界に入っていたその人は、自分の意識に帰るのです。
そういう場面を見ますと、先生の世界がちょっと分かりました。

 
礼拝が進行しているうちに、先生のみ言を聞いて、
自分はどれくらい神に心配をかけていたことかと
悔い改めの悟りをしました。

ですから説教の時にも、お祈りの時にも、
涙を流して泣かない人はいないのです。

中には恵みを受けて喜んで涙を流す人もあれば、
悔い改めの涙を流す人もあり様々でした。
神の愛に感謝して涙を流す人もいました。
涙を流す動機はそれぞれ違いました。

涙を流すにも、ただ涙を流すのではなく、
胸をたたきながら泣く人もいました。
ある人は体が震え、ある人は大きな声を出しました。


その人はおばあさんですが、立って踊るのです。
しかし皆様が思うようなそういう踊りではありません。

韓国の女の人は、人の前では踊ることも
歌うこともありませんでした。
ですからこれは自分の意志ではなくて、
霊の助けによって踊っていたのです。

踊る人自身も目を開けているのではなく、目をつぶって踊りました。
ある人は喜びがあふれて、歌を歌うにしても
手をたたきながら歌うのでした。


酒に酔っぱらった人のことを考えてみれば、
大変理解がしやすいだろうと思います。
酒に酔ったら黙っていません。

歌を歌い、踊って喜びを発散させます。
笑ったり泣いたり、話をどんどんする人もいますし、
いろいろな人がいるのです。

もともと人間が神の愛に酔っぱらう世界が
神の理想世界だというのです。
神の理想世界は神の愛で酔っぱらう世界。

そのような酔うという本性がありますから、
神の愛に酔うことができないと、
トランプでも良いし何かで酔っぱらおうとするのです。

お酒に酔っぱらっている様子と神の愛に酔っている様子は、
全く異なるものではないということをお話ししたかったのです。
しかし、方向性が違います。


初期の先生による礼拝の雰囲気は、
本当に神の愛に酔っぱらったようなものでした。

ですから騒がしくて、それを理解できない
周りの住宅街の人たちは、教会の隙間からこれを見ていたのです。

こういう状態で、夜になると夫や妻を近づけないということと
連結して考えてみると、これは本当に
淫乱なことがあるからそうなのではないかと考えたのでした。

I 平壌開拓から興南解放
第二章 いつも弟子に関心をもたれる先生
「祈りと神と人への愛」
「み言に酔った信徒」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
再編集 文責:ten1ko2



「神様の愛に酔う」・・・
お酒に酔うのと同じような状態だと考えると
神様の愛をまだまだ知っていない、
まだまだ到達していないな、と思わされます。

信仰生活とは何か、
「神様と善霊がともにある生活である」
昔、先輩から講座を受けたことがあります。

本然の世界というのは、
本当に素晴らしい世界であるに違いありません。
ただ待っていても到達するわけではないですから、
日々、神様と絶対善霊を意識しつつ
感謝して過ごしていきたいと思うのです。




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