2025年03月06日

こんな私も幸せになっていい! 自己牧会プログラム「つまみ食い」段階ですが・・・



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天正宮の花❁


自己牧会プログラムの体験談、
「幸せになっていいなんて……」

(女性 30代)

私は、幼い頃に両親が復帰され(教会に入り)、
信仰二世として育ちました。

ずっと「統一原理って厳しい! 許しがない!」
と感じていて、「〜ねばならない」
という思いで自分を追い込んできました。

そしてとうとう最近は、
「もうやってられない」という気持ちになっていました。

ところが自己牧会プログラムに出合って、
改めて「統一原理って素晴らしい」
と思えるようになったのです。


自己牧会プログラムで一番心が引かれたのは、
「否定するものは何もありません。
全てを許して愛して一つになり、
幸福を感じながら生きましょう」と教えている点です。

こんなことは考えたこともありませんでした。

私は、「み旨が成就するまで
幸せになってはいけない」と思い込んでいたのです。

天一国時代を迎えて創造本然の歩み方をしていい時代に
なったのに、旧態依然たる考え方のままだったことを、
自己牧会プログラムは気付かせてくれました。

今の私は、教会の公務と家事・育児に追われていて、
まだ自己牧会プログラムについては
“つまみ食い”の段階です。

心に残ったことを生活の中で思い出してやってみる
という程度で、実践の証しを聞いても、まだ感覚的に
よく分からないこともあります。

でも「私が求めていたものはこれだ!」
という確信はあります。
これからもっと学んで、
生活の中に生かしていきたいと思っています。

私の心の中にいる神様 85
幸せになっていいなんて……
再編集 文責:ten1ko2


統一原理は、「霊肉の救い」を提唱している、
今までの宗教にはなかった
特異な理論ではないか、と思います。

教会の初期の頃からあるときまでは、
穴埋めをしていく時代でもありましたので、
先輩たち自らが犠牲や苦労の道を行かれていましたから、
統一原理の厳しい面が、表に出やすかったかもしれません。

しかし、天一国時代を迎え、
本当の幸せを求め、実現できる
そういった時代が到来したのです。

神(天の父母)様を知ること、真の父母様を知ることも、
本当の幸福を得られる近道を
与えられているのだと思います。

葛藤しながらも、幸福な道を模索している、
こういう人たちが家庭連合には、
たくさんいるのだ、ということを
マスコミの皆さんには知っていただきたいですね。。。


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2025年03月05日

自由主義国家では、人間らしさが奪われている?! 家庭連合が標的になった理由 *ニュースがわからない人に《5分で解説》 



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「ほぼ5分で読める勝共理論」の続き。
共産主義の理論である「疎外論」
これが、いかに間違いであるのか、説いています。

疎外論の何が間違いなのか?

疎外論では、「資本主義社会では人間の本質が失われている」
「人間らしさが奪われている」と言っています。

そうしてできたのが共産主義の国、例えば
旧ソ連や中華人民共和国、そして北朝鮮などでした。

では、これらの国では人間らしい生活が
あふれているのでしょうか。

日本や米国よりも、人々が
もっと生き生きと暮らしているのでしょうか。

そうとも言えないようです。
むしろ特権階級だけが莫大(ばくだい)な富と力を持ち、
国民が自由を奪われている、
反対する人は厳しく弾圧されてしまう、
そんな国になっています。

これは、人間疎外論が根本的に
間違っていたということを意味しています。


では、何が間違っていたのでしょうか。

一つは、疎外の本質の捉え方を間違えたということです。
人間らしさの定義が違うということです。

人間には心と体があります。
哲学的に表現すれば、精神と物質です。

ある人がニコッと笑えば、
「あ、この人はうれしそうだな」と思います。
でも実際には、うれしいという心は見えません。

実際に見えているのは表情、つまり体の動きです。
体の動きを見て、「あ、うれしそうだな」とか、
「悲しそうだな」という心の動きを感じ取るわけです。
 
笑っている顔を見て、「あ、この人は
顔の筋肉が収縮運動をしているな」といって
体の動きを感じ取る人はちょっと変わった人かもしれません。

このように、人間には心と体があります。

心と体、どちらが大切?

では、心と体はどちらが大切でしょうか。
もちろんどちらも大切であることは言うまでもありません。

心が幸せなら体が傷ついてもいい、
体が幸せなら心が空虚でもいい、
ということはありません。
両方とも大事です。

ただ、両方とも大事であることを大前提として、
よりどちらが大事なのかといえば、
やはり心ではないでしょうか。

例えば、心が傷つくことと体が傷つくことでは、
より傷が深いのは心ではないでしょうか。

このように、心が体より重要だということを、
勝共理論では「心と体は、主体と対象の関係である」
といいます。 


実は日本の憲法も同じように考えています。

憲法は個人の自由を保障していますが、
その中に精神の自由と経済活動の自由があります。
そして精神の自由は経済活動の自由よりも、
より強く尊重されています。

例えば、お店とお店の距離が近いと倒産するかもしれない、
というときに、お店は何メートル以上離さないとだめだよ、
というルールを国が作ることもできます。

経済活動の自由を国が制限してしまうんですね。
でも、あなたは変な意見を言ってはいけないよ、
という制限をするのは、よほどの理由がないと駄目です。

これを法律の学問では二重の基準といいます。
明らかに差を付けているのです。

これは、日本国憲法が人間の本質は
より心にあると考えているということの表れです。

しかし疎外論ではそのようには考えません。

ほぼ5分で読める勝共理論 21
疎外論F 疎外論に対する批判と代案(1)
https://www.kogensha.jp/news_web/detail.php?id=23653
再編集 文責:ten1ko2


心と体はどちらも大事だし、
特に心が重要である。。。

もちろん当然のことであり、
誰もが納得することだと思います。

そして、心が大事である・・・その証拠として、
思想や良心の自由、信教の自由、表現の自由
これは憲法で保障されているのです。

今、私たち家庭連合に対する、
政府のとらえ方、裁判の行われ方、
そのようになっているのか、と考えると
疑問を提示ざるを得ません。

今は、家庭連合だけを悪の存在に
させようとしていますが、
これは、家庭連合だけの問題で終わらないことでしょう。

まさに本来の自由主義とは、
まったく異なる道を歩んでいる・・・
それが日本の現状なのだと
はっきりと知るべきではないでしょうか。



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2025年03月04日

転んで骨折、松葉杖生活で知ったこと 夫のワンオペ 《橘・夫婦愛エッセイ》



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橘先生のエッセイ「続・夫婦愛を育む」
今回は、『夫のワンオペ』です。


段差で転んで骨折、と耳にはしていましたが、
自分には当分先の話と思っていました。

遠方からの来客でバタバタ動いていた折、
不覚にもわずか数センチの高低差に足を取られました。

過去にもやっていた足首なので、今回も捻挫の診断が
下ると思っていましたが、少し折れているとのこと。
1カ月のギプス生活を告げられてしまいました。

そのこと自体かなりショックでしたが、
追い打ちをかけたのが、不自由さです。

貸していただいた松葉杖をうまく使いこなせません。
不器用な分、余分な体力を消費しているのでしょう。
数メートルの移動も一仕事で、
使える方の脚が筋肉痛を起こしています。


これまで松葉杖を使っている人を見かけても、
「けがしたんだ」くらいで、その大変さが全く
分かりませんでしたし(若い人には大変ではないかもですが)、
想像すらしてみませんでした。

その立場になってみないと分からない、
というのを改めて実感です。

私の松葉杖で歩く様があまりに危なっかしいので、
主人が会社に1カ月の在宅勤務を申請し、
許可されました(基本出社勤務)。
びっくりです。

妻の足首骨折ごときで、と
一昔前なら言われたことでしょう。
このご時世ならではですね
(社長さん自身が松葉杖生活を経験されたことも
許可の要因となったのかもしれません)。

私は申し訳ないこと限りなしです。
 

主人が働きながら家事を(時に育児も)こなすことは、
これまでも何度かありましたが、在宅では初めての経験です。

主人が会社の人や取引先の人と
電話で話すのが漏れ聞こえてきます。
通常家では見ることのない一面に触れることができ、新鮮です。

と同時に、定時を過ぎてもパソコンを打つ音が
聞こえてきて、忙しさが肌で感じられます。


そんな中、家事の面では、主人の負担を
極力少なくすべく最低限のことだけ
お願いするようにしています。
 
その際は、「都合のいい時に○○をしてくれると
ありがたいんだけど」という言い方を心がけて。
催促はしません。

わが家では、手拭きタオルは台所用、洗面所用、
トイレ用と3種類、基本的に色で区別しています。

毎日替えたいので主人にお願いすると、
長年使っていながら、その区別を
主人は全く認識していませんでした。

関心がないと言えばそれまでですが、
やはり男性故なのでしょうか。

以前にトイレの棚に敷く装飾用の紙を替えた時も、
「何か変わったの、分かる?」と聞いても見当すらつきませんでした。

ちなみに、洗濯後のタオルがしわっとなっていても
何も言いません(干す時にピンと伸ばしていない)。
清潔なのを使えるだけで感謝です。

あれこれと忙しい主人とは対照的に、
私の時間は人生初と言えるほど、
ゆ〜っくりと過ぎていきます。
さて、どう有益に過ごしましょう?

続・夫婦愛を育む 7
ナビゲーター:橘 幸世
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


素晴らしいご主人ですね!
妻のために在宅勤務に変更するなんて!!

ただ些細な日常生活に関心がない、
というところは私も同じですが。。。
いまだにタオルをどこに使うかわかっていないし( ´艸`)
タオルも脱水でねじれたまま干しては
指摘されています。

実は私の妻も、数年前に、1ヵ月
松葉杖生活だったことがあるんです。

しかも、橘先生と同じような原因で、
妻の場合は、骨折ではなかったですが。。。

本人は、日常生活自体、
相当、苦労していたと思います。

ただこの場で告白しますが、
妻のケアーに徹底するよりは、
「家事をするのが大変だ・・・」
という思いの方が強かったように思います。

また、昨年秋、私自身が手などを骨折して、
不自由な生活をしました。

徐々に回復しましたが、
体の一部を痛めただけなのに、
満身創痍の状態になり、
体をどうしていても辛い時期がありました。

人間の体の不思議さを感じると共に、
ちょっぴり人の痛みを共感することができました。

病気や怪我は辛く痛いものですが、
本人の気持ちを汲んで生活をすることが、
どれほど貴いことか、そのことに気づく
貴重な機会かもしれないと考えています。


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